2014年10月16日木曜日

挑戦、本田宗一郎物語/第4話-ホンダウエイ-|山形apron

挑戦、本田宗一郎物語/第4話-ホンダウエイ-|山形apron:

2011年06月04日(土)
テーマ:



ホンダの

正式な会社名をご存知だろうか?



” 本田技研工業株式会社。 ”





トヨタ自動車。。。


日産自動車。。。



ふつう。。。


会社の名前には、


 ”自動車”という文字が出てくるのだが。。。




ホンダの会社名に、


自動車という文字は見当たらない。



なぜか?



それは、

ホンダは、


自動車だけを


つくっている会社ではないからだ。



オートバイ、


ジェット機、


北国で冬の間、大活躍する除雪機、


人型ロボット(ASIMO)、



そして、

あまり知られていないが、


ホンダは、


お米もつくっている。


ホンダのお米は、


じつにうまい♪


”ホンダヒカリ” 


”ひとめぼれレジェンド”





ホンダという会社は、


むかしから社長室がないことで有名だ。


その為、風通しが良く、


独創的なクルマが、次々と登場してくる。


ホンダでは、


工場のことを、工場とは呼ばない。


”製作所” と呼んでいる。



こういう 

細かなところにこだわる姿勢が、


”ホンダらしさ” なんですね。


ホンダが、


まだ静岡の小さな町工場だったころ、


本田宗一郎は、


朝の朝礼で、ミカン箱の上に乗り、



”これから世界に挑戦する。”



”イギリスのマン島レース(世界最高峰のオートバイレース)で優勝する。”


と、社員たちを前にして宣言します。




それを聞いた社員たちは、



ぽか~ん


。。。。。。。。。。。。。。






むりもない


社員が


唖然とするのは当たり前だった。



なぜなら。。。


本田宗一郎が、


”マン島レースにでるぞ!”といった時の、


ホンダという会社の実力はどうだったのかというと、



マン島で勝つ力を100とした場合、


ホンダの技術レベルは、


この時、


せいぜい30程度だったと言われているからだ。





まともな人間の考えることではなかった。


おまけにホンダの経営状況は、この時かなり厳しかった。



レースに、お金を回せるだけの研究開発費などひとつも無かった。



ホンダの社員たちは、困惑した。。。



クルマの品質の問題、


クルマの量産の問題、


会社の資金繰りの問題、などなど難問山積だった。



とてもレースどころではなかった。



しかし、


ホンダは、どこまでもホンダなんですね。





一度

やると決めたら、


やる会社なんです。




結局、

その無謀(むぼう)な挑戦が、


社員のモチベーションアップにつながり、


お祭り男たちを


本気にさせてしまう。



”もしレースに負けたら切腹する。”


”レースに負けたら日本には帰らない。”という気持ちだったと当時の社員たちは振り返る。


だからこそ、


以前、


ホンダがF1レースを撤退するというニュースが流れたとき、



ライバルのトヨタ自動車は、


誰よりも驚いたと言われている。





なぜなら、


トヨタの人の言葉を借りれば。。。





”世界の自動車メーカーの中で、


 ホンダとフェラーリという二つの会社は、

 
 根本的に


 考え方が違う会社なんです。



 ふつうは。。。


 つくったクルマを売るための


 宣伝方法のひとつとして、自動車レースに出るものなのですが、



 あの二つ会社、


 ホンダとフェラーリという会社は、


 レースに出る為に、


 お金を稼ぐために、


 しかたなく


 市販車をつくって売っている会社なんですから。”







1961年、

イギリス マン島レース



ホンダは、

125cc、250cc両クラスで、


1位~5位までを完全独占。


優勝タイム。

最速ラップなど、すべての大会記録を更新してしまうのだった。



そして、


その後、


環境問題がクローズアップされてくると、

排ガス規制のマスキー法という国際協定が出てくるのだが、


世界中の自動車会社からは、




”こんな厳しい環境基準をクリアーすることは絶対不可能だ!” との大合唱がおこった。




そんななか、


本田宗一郎はどうだったのかというと、



”これは大きなチャンスだ!”と思ったそうだ。




もともと。。。


ホンダという会社はオートバイ作りからスタートした会社だった。

なので、


自動車を作り始めて、


まだ間もない頃、


ホンダの自動車の技術レベルは、


どのメーカーよりも低かった。。。


それが、今では他社に追いつくどころか、世界最高峰のレースで優勝するまでに成長している。



本田宗一郎は吼えた(ほえた!)。



”みんなが絶対出来ないと言っているんだ。”


”おれたちでやってしまえば、一番になれるチャンスだろう。”


”こんなチャンスはめったにないぞ!”




そして、

本田宗一郎は言葉通り、

世界ではじめて、

厳しい環境基準のマスキー法をクリアしたクルマの製造に成功する。



世界中の自動車会社は。。。



”。。。。。。。。。。。。。。。。”



”ホンダって会社。。。なにもの。。。。”



”どこの国の会社。。。”





ホンダの元社長で、


F1レース撤退の決断を下した、

ホンダ6代目社長の福井威夫(ふくい たけお)さん。

彼が

ホンダの入社式で新入社員に語りかけたエピソードを紹介したい。




”きみたちが入社して、ホンダウエイを学ぶのもいい。

 しかし

 君たちが何か持ってくる。

 
 何かしなければ、


 明日のホンダはないんだ。

 

 ホンダを変えることにこそ、自分たちの価値があるんだ。

 

 ホンダのために働くと考えること自体、

 
 すでに、それは、もうホンダじゃないんだ。

 
 人がなんのために働くのかというと、

 
 会社のためじゃない、


 自分のために働くんだ。

 
 それは、いつの時代も、世界中どこでも共通だ。”

 



ホンダの6代目社長、

福井 威夫(ふくい たけお)さんは、

ホンダのF1レース撤退を決断した男だ。

彼は、

あまりF1レースに関心のない男だったのかというと、そんなことはない。

まったく違う。

彼はHRC(ホンダレーシング)の社長だった人なのだから。。。


1985年、

スペイングランプリで、創業者の本田宗一郎から

”勝つにはこのままじゃだめだ!”と怒鳴られても、

彼は、

自分の技術と選手を信頼し、創業者の意見を無視した男なんです。

そして。。。


無視して優勝してしまった男なんです。


福井さんには

宝物があるそうです。


それは、その時に本田宗一郎からもらった手紙だそうです。


その手紙には、

らんぼうだけれど あたたかな字体でこう書かれていたそうです。



 がんばってください、期待しております 


                      本田宗一郎





再度、同じ話をさせてもらう。


ホンダの

F1撤退の話を聞いたトヨタの幹部は、ずいぶんと驚いたそうだ。

なぜなら、ホンダとフェラーリだけは、

レースをするために、しかたなく市販車を売って資金を稼いでいる。と言われている

会社だったからだ。


市販車を売るためにレースに出場している

トヨタとは考え方がまるでちがう会社だったのだ。

そしてトヨタも、

ホンダF1撤退のニュースが流れたあとすぐに、F1撤退を宣言したのだった。

ホンダの決断の早さをものがたるエピソードだ。



最後に、

ホンダ6代目社長、福井 威夫(ふくい たけお)さんの話をひとつ。


記者が福井さんに質問する。


”福井さんは、どんな時に充実感、達成感を感じますか?”



すると

福井 威夫は、迷わず こう答えている。


”最近で言うと、

 ハンガリー(F1ハンガリー大会/ホンダが優勝したレース)ですね♪

 
レースというのは


結果がすべてで、


2位以下は全部ダメなんですよ。

 
そのかわり


勝った時の気持ちは最高ですよ。”
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