2013年12月6日金曜日

福沢諭吉の光と影 - 木洩れ日通信

以下福沢諭吉の光と影 - 木洩れ日通信:から引用

朝鮮・中国蔑視の福沢諭吉。

「天は人の上に人を作らず」の言葉だけが独り歩きして、明治の開明派という印象がある福沢諭吉だが、この言葉は朝鮮・中国には適用されないらしい。
1880 年代前半「朝鮮人は未開の民、きわめて頑固で愚か、かつ凶暴」とか、「支那人民の怯儒卑屈は実に法外無類」「チャイニーズ、あたかも乞食穢多」、「朝鮮 国、人民一般の利害如何を論ずるときは、滅亡こそ、その幸福は大」などと発言している。(雑誌「週刊金曜日より)。
ネット右翼と言われる種類の人達が「朝鮮、中国、アホ、バカ、シネ」とわめくのと、あの1万円札でおなじみの、慶応義塾創始者の福沢先生の口汚さは同レベル。
「脱亜入欧」を唱えた福沢先生は、何を根拠にこれほど口汚くなれたのか。
日 清戦争や義和団事件で日本軍が中国に出兵した際には「チャンチャン、皆殺しにするは造作もなきこと」「支那兵の如きは豚狩りのつもり」そしてきわめつけは 「北京中の金銀財宝を掻きさらえて、チャンチャンの着替えまでも引っ剥いで持ち帰ることこそ願わしけれ」と略奪まであおる。
差別発言で知られる石原慎太郎も、さすがここまでは口にはしないような罵詈雑言。
当時の大衆が喝采するアジテーター。現代だったら「たけしのテレビタックル」で吠えるハマコー氏というところだ。(逮捕されて引導を渡されてしまったが)。
福沢は自由民権派からは「法螺を福沢、嘘を諭吉」とあなどられ、外務省勤務の吉岡弘毅からそのアジア侵略路線は「我が日本帝国をして強盗国に変しめんと謀る」ものであり「必ず将来に災禍を遺さんこと必せり」と批判され、実際その後に日本はこの通りになったわけである。
そのあきれた福沢諭吉だが、師や先輩の学説を批判して東京帝大を追われた北里柴三郎を助けている。
北里は慶応義塾大学医学部を創設した。
北里が追放される原因になったのは脚気をめぐる論争だった。
森鴎外らはこの原因を脚気菌によるとし、北里はビタミンB1の不足から来ると主張した。
鈴木梅太郎のビタミンB1説を取ったのだ。
「週刊金曜日」の佐高信氏の「お墓紀行」からのエピソードだ。
北里と争った森鴎外だが、鴎外の墓は太宰治の墓のすぐ近くにあって、鴎外の墓を無視して、その墓石にすわって太宰の墓詣でをするファンが後を絶たないとか。
陸軍が軍隊内の主食を「白い米飯」にこだわったのには、農村出身者の多い陸軍で「白いご飯を腹いっぱい食べられる」というのが、兵士達の「やる気」につながっていたからとも言われている。
B1を補う副食をつければ済むことだと思うが、鈴木梅太郎の説を、東京帝大医科大学長の青山胤通は「土百姓学者が何を言う。糠が脚気の薬になるなら、馬の小便でも効くだろう」という暴言を吐いたとされ、この差別・偏見が解決の道を遅らせ、兵士を苦しめたわけだ。

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