2013年5月18日土曜日

ネットラジオに見る日米のビジネス意識の違い もりりのひとりごと

ネットラジオに見る日米のビジネス意識の違い もりりのひとりごと:
2011 - 12/26 [Mon] - 11:32
 以前からアメリカのサイトが提供している「Live365」というインターラジオネットで音楽を聞くことがありました。そうですね、もうここ4-5年くらいはこのサービスを無料で使いながら聞いてきたのですが、このたびとうとう有料会員になりました。

 ネットの有料会員っていまいちなイメージがあったのですが、このインターネットラジオ、音楽のジャンルも豊富で、選べるチャンネルも膨大なのですが、有料会員にならないと聞けないチャンネルがメチャクチャ多いのです(笑)。当然みんなが聞きたいと思うチャンネルほど有料サービス(笑)。
 じゃあ有料会員の会費は高いのか、といえば、これがたったの年80ドル弱。今の円換算で5千数百円。年会費がですよ?たったこれだけの年料金を支払えば自分が聞きたい音楽を24時間いつでも聴きたい放題。

 アメリカのサービスだから日本人が楽しめるチャンネルなどないだろうと思ったら大間違い。ちゃんとJ-Popの新しいのから古いのまで、そしてアニソンもあるし、なんと演歌専門チャンネルだってあります(笑)。もちろん洋楽好きには完璧にジャンルごと、そして場合によっては好きなバンドや歌手を専門に流しているチャンネルまであります。ビートルズ好きの人などはビートルズばかり一日中流しているチャンネルがいくつもあります。

 要するに日本の有線放送の、もっと凄いヤツとイメージしてもらえればよいでしょう。これがたったの年6千円弱。これは日本の有線放送の料金と比較すると驚くほど低料金です。日本の有線放送は多分月額5千円ちょっとでしょうが、日本の有線放送の月額でこのLive365は一年間自由に聞けるのです。月額にしてたった500円ちょっと、しかもそれで全チャンネル聴きたい放題。

 これは音楽が好きな方にとっては本当にたまらないサービスだと思いますねぇ。仕事中に、そしてオフの時間に好きな音楽を自由に聴きたい放題。BGMとしては最高です。

 で、こういうサービスを実際に体感すると、本当に日本のビジネスって本当に自由な発想がないというか、素晴らしいアイデアを持っていてもそれをビジネスとして広めることができない国だなぁ、と思っちゃうわけです。アメリカ人の発想と着眼点、そしてそれをビジネスモデルとして世界中に広め、そして提供者もユーザーも集めて成功させる、その実行力というか実現力には驚かされるわけです。

 今世の中を席巻している新しいサービスってほとんど全部がアメリカ発ですよね。iPhone然り、Youtube然り、Twitterもfacebookも、ネットオークションも。自由な発想でビジネスを考え、それもユーザーから見て「こんな製品やサービスがあったら嬉しいし楽しい」と思えるようなサービスが。

 日本もかつてはそういう商品作りをしていた時期があるんですよね。でもいつ頃からかそういう「楽しさ」や「嬉しさ」を第一に考えて商品やサービス展開を貫き通すことを止めちゃったんですよね。きっとそれは日本のビジネスにおいて「無難に」とか「安全に」とか「リスクを少なく」などといった保守的な意識が過剰に働いてしまったせいだと思うんですよね。失敗を恐れすぎているというか、ただひたすらに現状維持に終始しているというか。

 でもビジネスって、きっといつの時代も多少の軋轢やセンセーションを起こすことは承知の上でユーザーから支持されるような新しい商品やサービスを提供し続けていくものだと思うんですよね。ユーザーが欲しいと思わないような商品や喜ばないようなサービスを惰性のように垂れ流し続けているだけでは、そりゃ儲からないですよね。

 だから今の日本の経済や社会の閉塞感を打開するためには、やっぱり全て基本に立ち返るべきだと思うんです。今は社会が高齢化してしまったために、あまりに既存の者や上の世代に気を遣いすぎ、配慮をし過ぎだと思うのです。そうやっているうちに商品はどんどん保守的で年寄り臭くて面白くないものになり、サービスも「わー、楽しー」「わぁ、すごーい」なんて素直に感じられるものが減ってきているんだと思います。

 やっぱりもっと自由な発想で何かを突き抜けるような商品やサービスを開発し、そしてそれを可能な限り自由な環境で世の中に広めようとする姿勢が大切なのではないでしょうかねぇ。日本人にそういったアイデアが出てこないわけではなく、社会環境的にそういう新しいアイデアが世に広がる前に潰されてしまっている足枷があるように思うんですよね。既得権益保護とか規制とか、そういった様々なものの影響で。

 Live365の有料会員になって、その提供サービス(コンテンツ)のあまりの豊富さと素晴らしさ、そしてそれにもかかわらず低料金であることに驚きながらそんなことをつい考えました。日本と日本人はもう一度基本と初心に立ち返って、一生懸命に新しくて、楽しくて、そしてワクワクするものを追求して世に出す心を取り戻すべきではないでしょうか。

 それを阻害するものには、悪いですけど引っ込んでおいてもらうようにしないとダメですね。もしそういったビジネス展開と発想することにおいて日本語が阻害しているのであれば、日本における英語教育のあり方もよく考えるべきですよね。

 日本人の英語が下手なのは、英語がしゃべれない中高校の英語教師と、100年前と変わらない発想で行われている大学受験における英語試験のせいであることは明白ですからね。日本以外の国では多くの人が母国語でない英語を自由に使ってしゃべれるのに、日本ではほとんどの人が日常会話すらできませんからね。あんな難しい文章と文法を高校で習うのに。バッカみたい。

 結局その理由は、日本人の知的レベルにあるのではなく、日本と外国における英語の教え方の違いによるものですからね。誰がどう考えたって現代の英語教育としては間違っていることは分かっているのに、既存の権益を確保しようとする中高の英語教師、受験産業、そして100年前からの受験内容を何も変えようとしない大学教育関係者がのさばり続けているからですよね。そしてその状況を日本社会もなぜか甘受しているのです。

 本当のところ日本の英語教育は、その存在そのものが大きな社会的機会損失と経済損失です。だってどれほど多くの人が人生においてほとんど役に立たない中高英語教育と、受験英語のために多くのお金を使っていることか。その重大な事実に世の中の多くの人が気付き、そして旧来の英語教育方法を変えないまま既得権益を守り続ける連中の姿勢は大いに批判されるべきだと思いますね。

 おっと話が変な方向に行っちゃった(笑)。
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